春本番・桜満開の約一ヶ月前、ここ洲本の市民グランド横に並ぶ緋寒桜は満開になる。
桜の木は学生達の通学路に沿って立ち、満開の時期ともなれば桜のトンネルができる。吹く風はまだまだ冷たいのか、行き交う学生達はコートを羽織りマフラーを巻いている。普段では見られない光景を彼岸桜は演出してくれる。
鏡のような田の水面に反射する光、波もない瀬戸内の海に反射する光。その光と影が織りなす自然の造形美は、6月の数日間だけ見られる。
夕日に照らされた美しい光景は、棚田に田植えが行われる前後の一週間程度しか見ることはできない。
このような素晴らしい光景をカメラに収めようと毎年、大勢のカメラマンが棚田のあぜに訪れる。
夕日を撮影するため、五色町都志の高台にあるウエルネスパークへ。海に沈む太陽を狙っていたとき小屋の上にある風見鶏が目に入っり画面に入れる構図に変更。
撮影時期は冬だったが空の下はもやが掛かり太陽は適当に減光。真っ赤というよりオレンジ色に染まる夕焼けが印象的でした。
そのオレンジ色の夕焼けとシルエットになった風見鶏、そして葉の無くなった小枝を見ていると、いつしかおとぎの国にきているようでした。
海に囲まれた島国淡路ならではの幻想的な自然現象「浮島現象」
淡路島の東海岸、旧東浦町の浜辺から南を望むと紀淡海峡に浮かぶ友ケ島が見える。無風でよく冷え込み透明度の良い冬の日には、海上にポッカリと浮かぶ島々が望めます。
浮島現象は、海水温度が気温より高いときなどに生ずる光の屈折現象で一種の蜃気楼です。
晩秋の風物詩は色々あるが田んぼに点々と連なる「わらぐろ」もその一つである。
昔はどこの田んぼにもたくさん見られたが、現代ではコンバインと言うもので稲刈りをするためこのような風景は珍しくなった。
中年層より上の方だったら身に覚えはないだろうか『わらぐろに登って、近所のおじさんに叱られたことを』
赤・白・黄・青・黒と五色の石が敷き詰められた浜が五色浜だった。今は波の浸食で浜は狭められ石は波にさらわれ昔の面影は少なくなっています。でも浜には、まだまだ沢山の石がうち寄せる波に洗われています。
太陽の光に輝きキラキラと光る五色の石、青い海から白い波をくねらせながらうち寄せる浜辺。
五色の石に腰を下ろし、真っ赤に萌える夕日の姿を楽しんでみてください。
1955年の調査開始から43年目で開通した世界最長の吊り橋。
橋を渡ったり展望台から眺める姿は壮大で美しいが橋を下から見上げる機会は少ない。橋の下に立てば圧倒される迫力に押しつぶされる思いがする。
そのとてつもなく大きく感じる橋も夏の空に沸き立つ入道雲の雄大さには負けてしまう。
棚田の曲線美からは農家の苦労が伝わってくる。山間地の少ない面積を有効に利用する知恵である棚田は、その分手間と労力を必要とする。
そんな棚田に秋が訪れ黄金色に色付きはじめる時、あぜ道には真っ赤な彼岸花が咲き誇る。棚田管理のほんの一瞬であるが安らぎを感じる風景となる。
西野空に夕日が沈み、大阪湾越しに見える泉州の町並みに明かりが灯り始めた頃、満開の菜の花畑にポッカリと満月が姿を現す。
「菜の花や月は東に日は西に」蕪村の句を思わず連想してしまう幻想的な眺めでした。
日が暮れ間もない空は濃い青となる。
小高い山の上でライトアップされた城は暗闇に浮かび上がり、昇りはじめた満月はお城の上で煌々と輝く。
いつも見ているライトアップされたお城、毎月見ている満月、そして普段感じている夕暮れの空。
一つずつ見ていると感じないことが、3つ同時に見つめると感動を味わう。何故かロマンを感じる風景だ。
橋の下を通過する船の上から撮影。迫り来る橋の威圧感は凄いの一言。
明石海峡大橋が間近に見える絶景の撮影ポイントです。
淡路市岩屋の高台からの眺め全景と岩屋の町並みがマッチしています。
橋を渡る途中、車内から超広角レンズでパチリ。
明石と岩屋をつなぐ海上の足である連絡船はフェリーボートと共に毎日橋を見上げながら往復しています。
明石海峡大橋が間近に見える絶景の撮影ポイントです。
洲本市の三熊山にある登山バイパス道からの日の出。紀淡海峡に浮かぶ友ケ島の上から昇る太陽が見られる。
淡路島第二の山、柏原山からの日の出。初日の出には大勢の人が訪れる。
北淡町石田の棚田に映る夕日。この撮影地はカメラマンたちのメッカとなっている。
風見鶏のシルエットがおとぎ話の世界を連想させてくれる。
一宮町明神にあるイブキが群生する明神崎に沈む夕日。
淡路島の西側海岸を走る県道は「サンセットライン」と名付けられている。
初夏の夕日は、田植えを終えた水田に映る。都会では見られない光景だ。
播磨灘に沈む夕日は美しい。
時として後光が差し込む様な光景を見ることが出来る。
秋の日の夕焼けは感動ものだ。
うろこ雲が赤く染まる光景もまた秋を感じる一瞬である。
広大な花畑「あわじ花さじき」では写真撮影の対象は多い。一面に広がる菜の花の上に浮かぶ月を見ていると「菜の花や月は東に日は西に」と蕪村の句が浮かんでくる。
荒城の月ではないがライトアップされたお城と満月はロマンチックだ。ふと足を止めて見上げてしまう光景。
寒々とした夜空の東に冬の星座オリオンが昇りはじめた。葉の落ちた木立と昇るオリオン座は冬の到来を告げている。
淡路島の柏原山は全国の星空コンテストで2位に入るほど星空が美しい。
2001年の11月19日に現れた獅子座流星群も柏原山では小さな流星まで見えた。
まだ静まった町並みの向こうに満月が沈みかける早朝。淡路出身の俳人小山青岐の『名月やふけて我住む山の上』が浮かんできた。
春はタンポポと鯉のぼりのシーズン。青空に向かって咲くタンポポの向こうには元気に泳ぐ鯉のぼりが青空に溶け込んでいた。
鯉のぼりが泳ぐ頃には桜が散りはじめている。まだ散らない桜の向こうには風を待つ鯉のぼりが見えている。
元気に泳ぐ鯉のぼりが湖面に映る。新緑が眩しく萌えはじめるこの時期は、写真撮影も楽しくなる。
一足早い彼岸桜。毎年、彼岸桜が咲く頃カメラに納めたいと考えていたが3年目にしてやっと撮影できた。
チョット厚着の女子学生が彼岸桜であることを証明している。
川の水に映る彼岸桜もまた長年の対象物。水に映るピンクの桜と青い空の色がとっても美しい。
一桜の花は咲いているときも美しいが散った桜も美しい。川に落ちた花は静かに流れるものあり激しく動くものあり、静と動がある絶好の撮影対象だ。
梅が咲く頃は霞がかかりりはじめている。遙か彼方の紀伊水道を行く船がはっきり見える事が少ない時期だが、時として素晴らしい光景に出会える。
梅が咲く頃は霞がかかりりはじめている。遙か彼方の紀伊水道を行く船がはっきり見える事が少ない時期だが、時として素晴らしい光景に出会える。
梅が咲く頃は春が待ち遠しい季節。初春の太陽に照らされた海に浮かぶ沼島は神話の島にふさわしく神秘的に浮かんで見える。
淡路で秋の紅葉はと聞くと東山寺と帰ってくるほど有名な所。参門付近の紅葉はとっても美しい。
桜の花で有名な宮谷の滝付近は紅葉も素晴らしい。紅葉の赤と秋の澄み切った青色のコントラストが心に残る。
棚田の稲が黄色く色づく頃、真っ赤に萌える彼岸花が現れる。どこにでもある田舎の風景だが、ふと足を止めて見入ることは少ない。
全国各地で稲ワラの保管方法は色々あるが、淡路では「わらぐろ」と言われる保管方法がある。今では、この光景を見つけることは少ないが、晩秋の風物詩だ。
淡路島は温暖な気候の島。そんな淡路でも一冬に一~二回は積雪する。高い山の上だけに積もる雪景色はシャッターチャンス。
池に突き出た田んぼの曲線美は田舎ならでわの光景。人が作ったものだが自然美として美しい。
真夏の青空に沸き立つ入道雲と淡路島特産のタマネギを吊したタマネギ小屋。淡路ならではの夏の風物詩だ。
五色に輝く石と青い海からうち寄せる白い波。昔は広く長かった浜も、今は浸食で狭くなっている。
島がポッカリと浮き上がる浮島現象。よく冷えた冬の朝などによく見える現象は日本誕生の神話「国生み神話」の島にふさわしい眺めだ。
水は澄みきって五色の石は海中でも輝く。夏場の海水場として人気の高い場所である。
春を感じる花はやっぱり菜の花。
一面の菜の花で春を満喫できる、あわじ花さしきならではの風景だ。
春の菜の花、秋のコスモス。定番となった花達は北淡路の高原に咲き誇る。秋を味わい秋を感じるコスモス達を超広角レンズいっぱいに味わってみた。
このごろ、あっちこっちの池に見る布袋草(ホテイアオイ)は紫色の花を池一面に散りばめている。近頃、転作の作物としても使われているらしい。
梅雨といえば紫陽花ですね。眺めているとなんだか心が落ち着きます。
6月、国営明石海峡公園にて撮影。照りつける太陽はまるで真夏を思わせるほどでした。
見ているだけで元気が出てくる鮮やかなオレンジ色。お気に入りの一枚です。